歴史知らずして下町語っちゃいけませんぜ。
全部勉強するのは難しいけど、ポイント抑えて土台くらい固めときましょ。
さぁさぁよってらっしゃいみてらっしゃい。
浅草寺縁起によると推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成兄弟が隅田川で漁をしていたところ、その網に人の形をした像がかかりました。
地元の長、土師仲知の鑑定でその像はありがたい観音像であることが分かり、仲知はお堂を建てて観音像をまつりました。
これが浅草観音金竜山浅草寺の起源です。
数百年を経て浅草は庶民の生活や信仰、水産業、経済の中心の場として発展していきました。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた当時には、隅田川沿岸は集落が点在し浅草寺の周辺には町屋が出来ていました。
鎌倉の神社・仏閣や街造りに宮大工などが応援に出かけたと「吾妻鏡」に記されているそうです。
当時の浅草が寺院を建造する技術や経済力、文化を備えていたことを証明する資料と言えるのです。
浅草寺は今も人々の信仰を集め、浅草は庶民の町としての賑わいを続けています。
四季を問わず地元商店街や観光協会の企画で毎月何かのイベントが企画され、早朝から多くの観光客が訪れ賑わいを見せています。
1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したと言われている。
文明年間には、太田道灌により社殿が創られたが、江戸時代になり、現在地に移転した。
現存する社殿も江戸時代のものである。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では使う人もいる。
単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。
東京大学の移転にともなって門前の根津遊郭は廃されて江東区の州崎遊郭へと移転させられた。
文京区千駄木のお屋敷町にある安田邸は、大正7年に建てられた近代和風住宅。
普請道楽といわれた実業家藤田好三郎(遊園地豊島園の創設者)が建てた家ですが、子育てには向かないと、郊外に芝生のある広い家を新築移転。
あまり住まなかったお屋敷を、関東大震災で日本橋小網町の家を焼かれた安田家が譲り受け、安田財閥の創始者安田善次郎の孫にあたる安田楠雄氏が亡くなったあと、この土地と建物を相続された幸子未亡人と長女美佐子さんが愛着のある建物を財団法人に寄贈、文化財としました。